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給料未払いだった話_01

 

こんにちは。つづみです。

 

今回は

大人になってからとても苦しんだ経験を。

 

以前勤めた会社が給料を払ってくれませんでした。

労働法について調べるようになったきっかけであり、

弁護士を通じて交渉をしたことを書きます。

(もちろん会社名や細かい仕事内容は書けませんが)

会社のことや給料のことで悩んでいる方に参考にしていただけたら幸いです。

 

 

まずはそんな会社と出会うまでを。

 

 

大学を卒業したあと26歳頃まで

音楽業界の”ライブ制作”と呼ばれる仕事をしていました。

 

ライブイベントを制作し、売り上げを作る仕事です。

イベントを作るためには出演してくれるアーティストが必要で、

この仕事には様々なアーティストとの繋がりが必要でした。

 

アーティスト本人だけではなく

事務所のマネジメントや、当日お客さまの案内を行う誘導のスタッフとも

連携を取り、イベントを運営する仕事です。

 

仕事ができる人ならば信頼され、案件も増えていきますが

信頼がないとなかなか本数を増やせないような仕事です。

 

当時、若くて、しかも女性の制作はあまりいなかったため

私は良くも悪くも浮いていました。

 

出演するアーティストも、そのマネージャーも

私より年上なのでそりゃー気を遣います。

 

それでも3年半ほど続けました。

会社は大きくはありませんでしたが、小さくもなく、

調子は良い会社だったので、ブラックが当たり前のこの業界では金払いは普通でした。

 

労働時間が長く体力的にきついことも

無茶を言われ精神的に苦しいこともありましたが

目標に向かい楽しく働いていました。

 

 

25歳になった頃、私は焦り始めます。

制作の仕事をずっとする気はなかったからです。

 

 

大学生の頃に思っていたビジョンでは

制作の仕事をしながらたくさんの人脈を作り、

だれがどのような仕事をしているのかざっくり現場で見ながら勉強する。

 

 

そして、

できた人脈の中からスカウトされるように次の仕事に移りたかったのです。

人脈を作るには、様々な人と関わらなければならないライブ制作の仕事が

一番良いと感じたのです。(当時の私の感覚なので実際はそうでもないです)

 

 

”ライブ制作もできるマネジメント”

になろうと思っていました。

 

 

現場の運営ができること、

どこにどれほどの労力が必要で、会場に合わせて経費はどれくらい、

などの知識があることで無駄な出費をなくせて利益を上げることは

最初からたまたまマネージャー職に就いてしまった人ではできないことが多いのです。

 

私がライブ制作をしていた会社では

マネジメント業はありませんでした。

 

そうなると外に目を向けることになります。

 

それまでに知り合った何百人の人の中から

私を欲しがってくれる人はいないのか。

 

 

なるべくたくさん外に出て、

現場にいる関係者をどんどん紹介してもらい、

ひたすら名刺を交換し、その”だれか”がだれなのかを探していました。

 

 

が、なかなか”だれか”は現れませんでした。

 

 

そんなときに野暮用で連絡をしてきたのが

ある個人事務所の社長でした。

 

 

 

 

続く。