今日の気分はどうだい?

映画、小説、料理などなど。

不快な湿度と不快な思い出

 

 

ただでさえ早く終われと思う梅雨が長く続き

 

やっと明けて、夏本番という天気

 

 

 

 

高めの湿度と

 

高すぎる気温に、強すぎる日差し

 

 

 

 

 

夏以外はマスクをするのが学生時代からの習慣だった私に

 

何度も投げられた「暑くないの?」という疑問を

 

今、外を歩く全ての人に問いたくなる

 

 

 

 

 

 

 

ガチガチの運動部だったわりに

 

汗をかくという現象がきらいなので

 

歩くだけで汗が垂れる季節はあまり得意ではない

 

 

 

 

 

 

せっかくのメイクも、

 

巻いた髪も

 

色味がかわいいシャツも

 

汗ですべて台無しだ

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は、普段通りに仕事ができていないため

 

夏の野外イベントといった仕事はすべてなくなった

 

おかげで無駄に暑い環境で

 

ひたすらに暑さに耐えるという、無駄な仕事がなくなった

 

その点に関してのみ、今のご時世にカンシャしている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2年前の私は、

 

今の会社の何倍だ?と計算できないほど差がある大きめの会社に在籍していた

 

 

 

 

 

 

それなりに古い会社で

 

社歴で給料が上がっていく古いシステムの会社だった

 

 

 

 

 

 

私がいた部署は圧倒的に女性が多く、女子校のような気楽さがあったが

 

仕事はプロジェクトごとに動くため

 

私のデスクは違う部署の人たちに囲まれていた

 

 

 

 

 

 

 

 

斜め前の席にいた50代の男性は

 

社歴20年ほどで、それなりの実績もあったりなかったり。

 

 

 

 

 

 

席が近いだけではなかなか話すことはなかったが

 

2年半前から同じプロジェクトとなったため

 

格段に接点が増えた

 

 

 

 

 

 

プロジェクトの発足は冬、春になる前に人員が決まり

 

まず相談がてらというかんじで

 

その斜めの席のオジサンに会議室に呼ばれた

 

 

 

 

 

昭和を感じさせる社内の上下関係の中で

 

”この人は私に相談をするところから始めてくれるのか”

 

という感触から、すぐに仲良くなった

 

 

 

 

 

ちゃんと話ができるオジサンが圧倒的に少ない会社の中で

 

始めて話せるオジサンだったため、私は期待に応えるように仕事をした

 

 

 

 

 

 

 

それが通じた、

 

いや、通じすぎてしまい

 

私の管轄を越えた仕事を頼まれるようになった

 

 

 

 

 

 

 

自分の上司に

 

これを頼まれたのですが、、、と相談すると

 

今は嫌われないようにしておこうか、と断らない方向性を示された

 

 

 

 

 

 

そんな仕事のやり方が続き

 

そのチームの中で

 

トップの役職のこのオジサンの秘書のような立場になってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

プロジェクトが始まって約半年

 

夏という繁忙期に入った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メインのイベントの真っ最中

 

オジサンから私個人に

 

”腹痛で運ばれて入院するかもしれない”

 

と連絡が入った。

 

 

 

 

 

 

 

その日は通常の出社日であったため

 

会社には全員いたが

 

だれもオジサンと連絡が取れずに困っている中での出来事だった

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の夜もイベントがあるのに

 

私にしか連絡がこない

 

 

 

 

 

 

 

 

チームの他のメンバーは

 

お気に入りだからね、と茶化して来たが

 

単純にオジサンの仕事の優先順位に疑問を感じた

 

 

 

 

 

 

 

 

そのあと、オジサンは本当に入院することとなり

 

週末のイベントにボス不在という、最悪の事態になってしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日、イベントの真っ最中

 

入院中のオジサンからまた個人的に連絡が入った

 

”今から病院に来れないか?”

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろんイベントの最中であり

 

イベント場所もわかっているオジサンである

 

なんならスケジュールを組んだ張本人だ

 

 

 

 

 

 

 

もしかしてここから近い病院なのか?

 

仕事に必要な何かを渡したいか伝えたいのか?

 

と私は真面目に捉えた

 

 

 

 

 

 

 

 

行けますよ、と返事をして

 

病院の場所を確認したら

 

電車に30分も乗らないといけない場所だった

 

 

 

 

 

 

 

近くない

 

 

 

 

 

 

 

 

調子が悪いのかオジサンはレスが遅く

 

必要なものありますか、などの返事がなかなか来なかった

 

 

 

 

この調子だと面会時間を過ぎてしまうため

 

とりあえず電車に乗り

 

何時頃に到着します、と連絡を入れておいた

 

 

 

 

 

 

 

 

すると

 

伝えた到着時間の数分前になって返信がきた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”歯ブラシと、タオルと、パンツを買って来てほしい”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友人や親戚が入院した際にお見舞いにいったことがある私は知っていた

 

入院できるような大きい病院にはコンビニがあり、

 

だいたいの日用品はコンビニで揃う

 

 

 

 

 

 

それをわざわざ仕事中の私に買わせるということはなんだろう

 

繊維のアレルギーや、こだわりがあるのだろうか

 

しかし、特に指定をされることはなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

駅の近くで買い物を済ませ

 

病院に到着した

 

 

 

 

 

 

 

 

入ってすぐにコンビニがあり、

 

中にはもちろん歯ブラシもタオルもパンツもあった

 

 

 

 

 

 

 

緊急入院だったからコンビニの存在を知らなかったのか?

 

歩けないほど傷口が痛むのか?

 

 

 

 

 

 

そんな疑問を持ちながらオジサンのいる個室に向かう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋に入り、個室のベッドに横たわる2日ぶりに会うオジサンは

 

お風呂に入っていないのだろう

 

少し脂ののった髪が乱れ、

 

入院着ははだけ、2日から履いているであろうパンツが見えた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば私は、

 

このオジサンがボクサーパンツ派なのかトランクス派なのか知らない

 

 

 

 

 

 

 

そもそもパンツを買ってあげる相手なんて

 

彼氏かよほど仲の良い友達なので

 

普段どんなパンツを履いているかもわかっていた

 

 

 

 

 

 

 

 

このオジサンはどっちなんだろうと

 

考えるだけで吐きそうになった

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドに横たわる好意のない男性を見ることが

 

こんなにも不愉快なことなのかと初めての感覚になりながら

 

”買ってきたものここにおいときますねー”

 

と、帰りたさにせかせかと動いた

 

 

 

 

 

 

 

”ごめんなぁ、助かるよー”

 

というオジサンを向かい合う気になれず

 

”このタイミングで入院とかないですわー”

 

と笑うことしかできなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロジェクト発足してすぐに

 

”今年実は結婚したんだ”

 

と聞いてもいないのに言ってきたのはオジサンだった

 

 

 

 

 

 

 

 

オジサンは急な転勤だったことと、

 

奥さんは仕事をしていて引っ越せなかったということで

 

新婚早々、別居をしているということだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまに出てくる”嫁アピール”は

 

きっと全て嘘だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いくら仕事が忙しいといっても

 

旦那が3日ほど入院するとなったら嫁はくるものじゃないだろうか

 

命に別条がないにしても

 

新幹線ですぐの距離で、毎週のように会っているのだ(オジサン談、たぶん嘘)

 

 

 

 

 

 

 

 

それを、職場の部下のような立場の女に

 

下着の買い物まで頼むだろうか

 

 

 

 

 

 

 

同じ現場には男性社員もたくさんいた

 

それなのに私にしか頼んでいない

 

 

 

 

 

 

 

 

考えれば考えるほど気持ち悪くて

 

早く現場もどる流れにしたいと思っていたら

 

”向こうでコーヒーでも飲もうか”

 

と言われた。

 

 

 

 

 

 

 

オジサンは

 

このフロアにコーヒーが売っていて

 

椅子などの並ぶ雑談スペースのような場所があることを知っている

 

そして、そこまで歩くこともできる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”こんなにただテレビ見て過ごすなんてないからな〜”

 

と他愛のない会話をしてばかりで

 

仕事の話があるかも、と思っていた数時間前の自分を呪った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”急な入院だったからお金を下ろさなくちゃ”

 

と1階のコンビニにも誘われた

 

 

 

 

 

 

 

、、、コンビニの存在も知っている

 

 

 

 

 

 

お金を下ろしている間に

 

わざとタオルやパンツの並んでいる棚を見た

 

 

 

 

 

 

オジサンは私の行動に気づいているのかわからないが

 

特になにも言わない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個室に戻り

 

明日のイベントのまだ決定できていないことについて確認した

 

私が確認しなければならないことではなかったが

 

だれも確認できないだろうから聞くしかなかった

 

 

 

 

 

 

 

一通り確認をして

 

”もう時間やばいので”

 

とありきたりなことを言って現場に戻った

 

 

 

 

 

 

 

 

現場に戻ると

 

みんなから、なんだった?どうだった?

 

と聞かれたが

 

ただ、パンツを買ったとは言えなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気持ち悪過ぎて言えなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事に週末のイベントが終わり

 

休日出勤が続いたので、月曜日に振休をとった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうどお盆休みに入った主人と休みを合わせられたということもあり

 

久々に二人で出かける予定だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

準備をしていざ家を出ようというタイミングで

 

今日退院のオジサンから連絡が入った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”無事に退院しました。色々ありがとね。

 

 今日は買って来てもらったパンツを履いたよ”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見た瞬間にすべてが爆発し

 

主人にも伝え、涙目になりながら上司にメールを送った

 

相談したいことができたので時間をください。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、会社で上司と会議室に入った

 

 

 

 

 

 

 

 

 

”どうしたの?”と聞いてくる女性の上司に

 

泣きながら週末の出来事を伝えた

 

 

 

 

 

 

 

時折、”え?”とか”うわっ”とオジサンの気持ち悪さに驚きながら

 

全部を聞いてくれた上司を見て

 

女性の上司でよかったと感じた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし上司からの対応策はひどいものだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幹部に伝えて、オジサンに注意をしてもらう

 

オジサンの代わりはいないから仕事も役職もそのまま

 

気まずいならプロジェクトからあなたが外れるしかない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜセクハラをしているオジサンがそのままで

 

私が外れるという選択肢しかないのだろうと思い

 

デスクが近いのが嫌なので、フロアを戻してくださいと願ったが

 

それは他のプロジェクトの妨げになるのでできないと返された

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2時間ほど押し問答をして

 

じゃあ会社をやめますと泣き続けたが

 

止めるわりになにも私の求める回答はなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで通りで頑張ります

 

と最後に言って、また相談してねと言われ話し合いは終わった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣きはらした顔のまま

 

私はまたオジサンの斜めの席に戻るしかなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべて夏の暑くて、日差しの強いいい天気の日だった

 

 

 

パンツを買いに歩いたときも

 

パンツを履いたよと連絡がきた瞬間も

 

憂鬱な気分で会社に向かっている時間も

 

 

 

 

高すぎる湿気と、焼けているのがわかるくらい強い日差しの日だった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジメジメして、天気の良い日には

 

あの最悪な瞬間を思い出してしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高すぎる湿気のように不快な夏の思い出

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏がきらいだ

 

 

 

 

 

わからない人は生き残れない世界

今週のお題「外のことがわからない」

 

 

仕事は7割ほどなくなった。

あとの3割は、なくなった仕事の補填のようなものなので

この状況だからこその仕事であった。

 

 

 

収益もガクッと下がった会社からは

変わらない月給が振り込まれる。

小さい会社なのに、ありがたいことだ。

 

 

 

 

提携している会社にも出向のような形で作業をしにいった。

 

そこの社長さんが、帰りに交通費といってお小遣いをくれた。

 

 

 

 

今回の自粛のせいで

給料の支払い、各所への支払いが少し危うかったらしいが

私の案がいい方向に転んで、問題なく支払えたらしい。

 

 

たまにしか会えない社長だが

深夜の電話で2時間ほど褒め続けてくれた。

 

 

大切な人の、大事にしている会社に

利益をもたらすことができた

それはものすごく自信になった。

 

 

 

自分を含め、周りの人は仕事が減っているため

だいたいみんな病んでいる

 

 

 

利益のためにはこうしたほうがいい

これはリスクが大きい

こうしたらバッシングされるかもしれない

 

やったことのないこと、見込めない利益、世間からの目

 

 

いろんな考えが堂々巡りをして

行き詰まっているようだった

 

 

 

今までの経験上

病んでいる人と関わってもあまりいい影響がないので

連絡を取るなどのコミュニケーションは極力なくした

 

 

 

 

そんな中で、

私は昔からお世話になっている大切な人に

褒められ、感謝され、必要だと確信され

ここ数年でこんなに嬉しいことはあっただろうかと思うほど

心が満たされた

 

 

 

 

自分のいるコミュニティー

このタイミングでこんなに心が満たされているのは私だけだろうと思う

 

 

 

 

なおさら病んでいる人と関わる気がなくなった

私がこのタイミングでハツラツを仕事をしているのを理解されないだろう

 

 

 

 

以前から発注していたメーカーも

自宅勤務になったためか、担当からのレスが遅くなっていた

 

 

 

もともと丁寧でマメな人間ではなかったが

ズボラな人はどんどんズボラになっているように思う

 

 

 

 

納期や段取りについてこちらは指示しているのに

遅れたことを謝りもせず、その後の反省や対策も感じない

 

 

 

 

 

そんな仕事のやり方で今後残っていけると思っているのだろうか

 

と疑問に感じなから、発注先を変えた

 

 

 

この大事なタイミングで、他社にミスられるわけにはいかない。

 

 

 

それでも元担当は

自分の雑な仕事のせいで案件をなくしていることに気づかないらしい

 

 

 

 

 

会社の人にも、提携先の人にも会わず、

オンラインのやりとりのみになることで

見えないものは当たり前にできたと思う

 

 

が、代わりに

気付きにくかったことにしっかり気付くようになったように思う

 

 

 

 

 

「外のことがわからない」

 

 

これは外出に伴うことだけではなくても

外部の会社の方針や対策・対応についても言えると思う

 

 

今このタイミングでこの仕事をする?しない?

その判断の理由は?

 

 

外部の会社については関係ないといえば関係ないが

明らかに影響は出ている

 

 

ちょっとしたニュアンスに気づかない

レスが悪い

 

そんな人たちは淘汰される世界になるかもしれない

 

 

 

仕事ができる人は生き残り、

できない人は存在感が薄れる

 

見えない人はどんどん見えなくなるし

わかろうとしない人は、わかることがなくなっていく

 

 

 

 

この自粛期間が

もっとシンプルな世界にするかもしれないと感じた

 

 

 

 

 

 

 

 

梅雨のような女

 

 

気分が変わりやすい人間がいる

 

人に合わさずに自分の気分を全面に出せる人間

 

 

 

山の天気のように変わりやすく

 

笑っていたかと思えば怒り出し

 

不機嫌だったのに急に甘え出す

 

 

 

 

今、私の目の前にいる女がまさにそれである

 

 

 

今日は着いた瞬間から機嫌が悪い

 

 

髪型を変えていたので褒めてみる

 

、、、空振り

 

 

飲み物を与えてみる

 

、、、まだ手をつけない

 

 

 

 

 

今日は機嫌をとるのをやめにしよう

 

 

 

 

 

仕事の付き合いであるから

 

好き嫌いでこの女と一緒にいるわけではない

 

 

 

 

 

この女の機嫌が良いときは

 

お気に入りの男が自分に構っているとき

 

圧倒的にそれに尽きる

 

 

 

 

 

もしその男が別の女に構っていたら

 

すぐに機嫌が悪くなるか

 

最悪の場合、病み出す

 

 

 

 

 

その男が私に構ってしまったときは悲劇である

 

私は困ったふりをしてその女の近くにいき

 

”この人面倒なんだけど〜”

 

と迷惑そうな顔をして彼女に助けを求めるのだ

 

 

 

 

 

 

今日は、彼女のお気に入りはだれもいない

 

萎れたオジサンしかいない

 

今日はだれも彼女の機嫌をとることはできない

 

 

 

 

 

 

 

絶世の美女か

 

よほどの権力者以外

 

自分の機嫌は自分でとるもの

 

というルールを徹底してほしい

 

 

 

 

 

 

 

自分よりも若い彼女を見ながら

 

私が自分で自分の機嫌をとれるようになったのはいつからだろうと

 

今までの自分を振り返って見た

 

 

 

 

 

 

 

たぶん最近である

 

 

 

 

 

 

数年前まで

 

私は滅多に自分を甘やかすことがなく

 

お菓子を買ったり

 

コンビニでお弁当を買ったり

 

歩ける距離でタクシーに乗ったり

 

そういった贅沢や手抜きをうまくできなかった

 

 

 

 

それは学生時代に一人暮らしをしている頃に

 

経済的な余裕がなかった習慣が身に染みてしまっているのだ

 

 

 

 

 

 

最近は周りの影響もあり

 

わりとすぐにタクシーに乗ってしまうし

 

お菓子やできあいのものを買って食べることもある

 

 

 

 

仕事で疲れて家に帰ってきてから

 

ご飯をつくって食べて片付けるという行為は

 

なかなかハードルが高い

 

 

 

食事がストレスになってしまっては意味がない

 

 

 

そう気付いてから

 

自分を甘やかせるようになった

 

 

 

 

作る時間を省略して

 

簡単にお腹を満たすという行為は

 

心も簡単に満たしてくれることを知った

 

 

 

そうだ、つい最近である

 

 

 

 

 

 

今日はがんばったから

 

なんでもないけどケーキを買ってみる

 

食べたい気分だからコンビニの唐揚げを食べてみる

 

歩ける距離だけどタクシーに乗る

 

 

 

 

かける必要はなかったかもしれないお金を払って

 

楽を得る

 

時間の余裕を得る

 

 

 

それが自分を豊かにすることを

 

ちゃんと理解してから

 

ずいぶんと生きやすくなった

 

 

 

 

 

それと比べたら

 

この”気分が梅雨”女はまだ若い

 

 私よりも7年も生きていない

 

 

 

 

 

 

髪色を変える

 

ネイルを変える

 

新しい服を買う

 

 

 

そんな必要経費も

 

高いんだよねー

 

という言葉がついてまわる

 

 

 

 

 

若い頃は仕方ない

 

ほしいものが溢れ

 

毎日でも遊びたい友達に囲まれていたら

 

ちょっとした贅沢が

 

暮らしを豊かにすることに気付かない

 

 

 

 

 

からしたら毎日のように

 

友達をごはんにいき

 

定期的に髪色もネイルも変わっていることは

 

十分な贅沢であるが

 

 

若い女からしたら

 

それは全て必要経費であって

 

贅沢ではない

 

 

 

 

 

今の必要経費を

 

贅沢だと思えるようになったら

 

きっと

 

自分の機嫌を

 

自分でコントロールできるくらいの余裕ができるだろう

 

 

 

 

 

年中、梅雨のような女を見ながら

 

そんなことを思っていた

 

 

 

若い頃にはわからなかったこと、

 

感じなかったことを

 

感じられるようになること

 

 

 

 

年齢を重ねることが

 

 最近たのしいと思えるようになった 

 

 

 

 

 

 

 

 

父のニオイ

もしあれを反抗期というのであれば

 

わたしの反抗期はとても早かった

 

 

 

なにをされたわけでもなく

 

ふつうに愛されて

 

ふつうに怒られて

 

ふつうにいろんな場所にあそびにつれていってもらった

 

両親と兄とわたしのふつうの4人家族。

 

 

 

 

ふつうじゃないとしたら

 

父だけ年齢がかなり離れていたということ。

 

 

 

 

両親は年の差婚というやつで

 

年齢だけ見ると、まるで3世代の家族であった。

 

 

 

 

物心ついた頃から

 

父のニオイがクサイとか、不快とかいう感情はなく

 

これが父のニオイか、という認識だった

 

 

 

 

小学生になり

 

女の子をつるむようになった頃

 

急に父が汚らわしく感じるようになった

 

 

 

周りがまだ反抗期を迎えていなかったこともあり

 

わたしは父が嫌いなのだと思った。

 

 

 

 

父の服と一緒に洗濯されることを嫌い、

 

同じタオルで手を拭くこと、

 

同じバスマットを踏むことも嫌がった

 

父が使ったあとのトイレには20分経過しないと入れなくなった

 

父への反抗期なのか、潔癖症なのか不明であった

 

 

 

大学進学により実家を出たあとに

 

実家のありがたみを知ったわたしは

 

こまめに帰省するようになった

 

 

 

実家っていいなあ

 

そんなのんきなことを考えていたが

 

あるタイミングで鼻炎を発症するようになった

 

 

実家に帰ると

 

 

くしゃみが止まらず

 

花粉症のように鼻水が止まらないときがある

 

 

 

 

 

鼻炎の原因は

 

父のニオイだった

 

 

 

 

 

父の寝室のドアが開いているとき

 

父がリビングにきたとき

 

私の鼻炎が発症するタイミングは

 

いつも父が握っていた

 

 

 

これがもし

 

反抗期による弊害であるならば

 

私は25年ほど反抗期が続いている

 

 

#父のニオイ

 

 

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【映画】母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。

20192月に公開された映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。

自分の母親は絶対に死なないと思っている方は観るべき作品だと思います。

 

 

主人公はかなりマザコンな息子、サトシ。

末っ子で病弱だったということもあり、小さい頃から甘えん坊で泣き虫、情けない男の子です。

 

大人になり働くようになっても実家に暮らしていて、

お母さんはいつもサトシが仕事から帰ってくるのを待っています。

 

そんなお母さんが末期ガンと診断されるのです。

 

徐々に弱っていく母は、死ぬ準備を始めます。

サトシは、そんなことするなと準備を許しません。

 

ふたりの間に入り、うまく取り持っていくのが

サトシの恋人・真里です。

 

サトシと真里が、最期まで母を支え、そのときを迎えます。

 

いつまでも死を受け入れられないサトシ、

酒に溺れボロボロになっていく父、

看病ができなかったことを後悔している兄。

これほどまでに母親の存在は大きかったのかと感じられます。

 

いくら末期ガンだとしても

死ぬ準備なんかしてほしくない、そんなことしたらほんとに死んでしまう、

という現実を受け入れられない子供のような感情がリアルに感じられ、

母に対して自分は一生子供なんだなと思います。

 

 

 

1年後、

小さい頃の病気が原因で子供を作れない身体だったサトシの元に

亡くなった母が大事に残してくれた大切なものの知らせが届きます。

 

 

 

 

 

 

安田顕のマザコン具合がたまらない】

 

声が渋いオジサン俳優、安田顕

実は私がこの映画を観たきっかけは安田顕さん主演ということです。笑

 

中年男性の、自由な女性に振り回されて困ったような表情が似合う俳優さんです。

 

今回の映画のタイトルからマザコン役なのかなと一瞬思いましたが、

いやいや、あの渋い安田顕がまさか!と思っていました。

 

しかし、安田顕の役は思いっきりマザコンです。

 

ただのマザコンではありません。絶妙な味のあるマザコンに仕上がっていました。

 

亡くなった母に話しかけるシーンも、泣きながら母に抱きつくシーンも

彼の演技に涙が止まらなくなります。

 

 

 

 

自分の死がもし、突然の死ではなく、準備期間のある死なら、

自分で遺影の写真を選びたい、

好きなことに時間を使いたい、と思うのでしょう。

 

 

逆に

大切な人が死を感じて準備を始めたら

私は素直に手伝ってあげられるのでしょうか。

 

 

 

 

 

映画館でこの映画を観ましたが、

若いお客さんはほとんどおらず、熟年と呼べる年代の方が多くいました。

 

おじさん~おじいちゃんの年代の方たちの

すすり泣く声が聞こえて、母を想っているのだなあとつられて涙が流れます。

 

私はまだ家族を亡くしたことはありませんが

母の最期には隣にいたいと強く思う映画でした。

 

給料未払いだった話_03【必死さが足りない】

 

 

こんにちは。つづみです。

 

 

前回、

問題の会社で働き、雇用や給料を曖昧にされていたことを書きました。

 

 

仕事は働きながら覚えるもので

徐々にできるようになるもので

会社は育てる義務があると思うのです。

 

 

が、

その社長は

”一人前にならないと給料は出せない”

の一点張りでした。

 

 

その後いろいろ調べていく中で

給料未払いだったり違法な労働をさせている会社では

この発言は度々見受けられるようでした。

 

 

中途だから厳しい扱いを受けるのか

私が気にくわないのか、、、

とても悩みました。

 

 

私は

今までと違う職種で自分がどう立ち振る舞えはいいのかわからず

冷静になればできるような業務にも手こずっていました。

 

というのも正解を教えてもらえず

現場での仕事が終わり事務所に戻ってから

”さっきのあれはなんなの?”

と問い詰められることがほとんどで、

こういう風に動いて欲しい、こういう発言には気をつけてと

事前に言ってもらうことはなく

 

事前にこの日はどう動いたらいいですか?と聞くと

当日教えるよ。

当日、これ終わったので次これやろうと思いますが他にありますか?と聞くと

ないよ。

という感じでした。

 

今思えば私ももっとうまく動けたなあ、と思いますが

あの環境で、この社長とうまく出来る人はいないと断言できます。

 

 

社長と関わるようになって半年ほど過ぎた頃

”仕事ができない奴に給料は払えない”

という旨のことを言われ過ぎて

私はボロボロになっていました。

 

 

給料をもらえない私はできない人間なんだ

という意識からなにに対しても自信がなくなり

友達に会っても気晴らしにもならず常に暗かったと思います。

 

 

私はあまり感情が表に出るタイプではなく

表情から感情が読み取りにくいと言われます。

 

それは

新卒後からやっていた仕事が

人にアドバイスをしたり説教じみたことをしていたので

感情を出すことによって相手を不安にさせてはいけないと強く思っていて

仕事中=感情をコントロールする

が身に染みつきすぎていたのです。

 

 

疲れていても疲れた顔はしちゃいけないし

2日寝ていなくても眠そうにしない、とか

いつも冷静に全体を見ている人を演じていたのです。

 

 

社長にも私の感情は伝わりませんでした。

 

 

私が困っていても迷っていても

顔は変わらず冷静に見えてしまうため

なにかを相談しても

”なんでこんなことを相談してくるんだ”

という感じだったのかもしれません。

 

からしたら

こんなに困ってて急いで相談したのに

たった一言で終わった、、、という感じでした。

 

お互いの認識が常に現場ですれ違い

現場を重ねたのちに社長から言われたことは

 

 

”お前は必死さが足りないんだ”

でした。

 

 

こんなに頑張ってこんなこともやりました!

だから給料をください

ってなったら給料をやるというのです。

 

 

必死さが伝わらないから

お金がなくなったら死に物狂いでやるんじゃないか

という意味もあって給料を先延ばしにしていたというのです。

 

 

こいつ頭おかしい

と思いながら、

私は心も身体もボロボロになりながら、

ただ感情が伝わらないだけでこんな仕打ちを受けるのか

絶望しました。

 

 

それまで

この仕事のこと、会社のことを

だれかに相談したことはありませんでした。

 

 

なんでも順調に見せようとしてしまっていました。

 

 

所属のアーティストのファンが減っているとか

内部でこんな問題が起きているとか

そういったことはいくら同じ業界の人でも言ってはいけないものです。

 

ましてや給料が支払われないなんて

会社の印象は最悪です。

 

そのようなマナー的なものにプラスして

私は人の悪口をあまり言えないのです

 

 

それでも半年もボランティアをしていて

私はもう崩壊寸前だったため

以前より仲が良かった同じ業界の少し年上の友達に

事情を話しました。

 

友達は私の性格も知っているため

真面目に仕事に取り組んでいることも知っているし

一緒に仕事もしたことがあるから

それがどれほど真面目なのかも知っています。

 

 

事情を話してすぐに

”今すぐにやめろ”と言われました。

 

 

それから

私は社長を2人で話すときは

その会話を録音するようにしました。

 

 

月に3日も休みがないこと、

休みの日もパソコンを持ち歩きすぐに作業ができないと怒られること

給料が払われず、会社に行くたびに交通費でマイナスになること

 

もう限界でした。

 

 

 

 

続きます。

 

 

給料未払いだった話_02

こんにちは。つづみです。

 

 

前回、問題の会社との出会いまで書きました。

 

 

 

個人事務所を経営しているその社長とは

2〜3年前に1度イベントで会ったことがあり

連絡先も知らないままでした。

 

 

久々に会おうよという話になり、

仕事で悩んでいること、

今後はこういうことをやりたいという話などをしました。

 

 

そのときから

社長は自分の武勇伝ばかり話していて

 

私の悩みを踏み台に

”俺はこんなに大変だった””忙しかった”

という話で終わらせる人だということを気付けなかった私は

若さなのか勢いだけだったのか、、、、

 

 

 

社長の事務所に所属しているアーティストの話を聞いたり

一緒に仕事をしている人を紹介してもらったり

急激に距離は近くなっていきました。

 

 

それほど年齢は離れていなかったのですが

そのチームの中では”最年少の唯一の女”だったせいで

意見を求められることも多くありました。

 

 

そして、

うちに来ないかという話になりました。

 

その仕事はしたいということ。

月に最低15万はないと生活は苦しいということ。

(この15という数字は絶妙なんです、新人なら妥当かと)

を伝えたところ

それなら問題ないね、よろしくという流れから

私もそのチームの一員になりました。

 

 

元々やっていた仕事を辞めるまでに

半年ほどかかりそうだったため

しばらくは両方の仕事をするということになりました。

 

 

最初は研修だと言われ

現場での仕事や、先輩に教わるときの交通費などは自腹でした。

 

 

元々やっていた仕事の合間に

社長とスケジュールを合わせて事務所にいったり現場にいったり

休みのない期間がしばらく続きました。

 

 

所属のアーティストがデビューするタイミングだったということもあり

イベントや全国ツアーで月の半分は家にいない生活。

元々やっていた仕事の方は籍だけ残っているような状態でした。

 

 

何度か社長に

「前職の方は来月くらいで正式に辞められそうです」

「契約とかってどうなりますか」

 とやんわり伝えていたのですが

いつも曖昧なまま流されてしまっていました。

 

 

私のことをほしいと思って会社に誘ってくれたのであれば

そこからの段取りはしてほしいという気持ちもありましたが

社長はいつも

「俺は独立する前の仕事で給料がほしいなんて言ったことがない。

 いりませんって言いながら仕事をしていたら自然と給料は増えて言った。」

といつの時代かわからない話をするので

これは給料をください、と私にいうなという暗示か?と思っていました。

だからはっきりと言えませんでした。

言ったらそれだけの仕事をしているのか?と責められ

前職を辞めてしまったから戻る場所もない、

この状態で野に放たれるのだけは勘弁でした、、、

 

 

私としては

給料をもらってこそ仕事であって、

一人前でないところから成長することも仕事である

と思うのです。

 

 

ただ、

そんな常識は彼には通じませんでした。

 

 

 

続く。